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アメリカンアイドル:最後のフィナーレ by デヴィッド・アーチュレッタ

さてさて、知らない間にアメリカン・アイドルのファイナル・シーズン(シーズン15)が終わったようでございます。
※なんせ、マッケンジーくんが姿を消してからは、Pさんが後を追いかけてくれなかったんで、いつ終わったのかはよくわかりません。すいません。

ともあれ、アメアイが終わったぞ~ってことで、めばるさんのリクエストにより、めばるさん用に、デヴィッドのブログ「アメリカンアイドル:最後のフィナーレ」の訳をメモがわりに掲載。

なお、もともとブログ訳はしていなかったし、やたら人名が多いし、神語はわからないし・・・ってことで、なんとなく意味がわかればOKってことにして、不自然な部分や人名カタカナ標記の誤り、宗教関連用語には目をつむってくださいね~。

アメリカンアイドル:最後のフィナーレ
原文はこちら

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先週は、アメリカンアイドル最終シーズンのフィナーレだった。 当初は参加できないと思っていた。 いつもは5月がフィナーレなのに、今年は4月に予定されていたし。 番組がこれまでのコンテスタントに出席の連絡をしてきたとき、僕の予定は埋まっていた。でもフィナーレがオンエアされる数日前、何かがぼくに、スケジュールを見直すように促しているように感じた。 既に2月の時点で出席できないと答えてあったが、その後自分の予定が変わっていたことを知った。 そこで、マネージャーに、いまから出席だけでもできないか、そしてあの番組の視聴者として、また参加者としての時間の中で、僕の人生に影響を与えた多くの人たちにさよならを言うことができないかをきいてくれるように頼んだ。 ほんの数日前だったにもかかわらず、出席できるって答えがきたときは嬉しかった。
(この後の文章には、たくさんの名前が出てくる。馴染みがあるものも、ないものも含めてね。) あの番組に実際にどれだけ多くの人々が関わっていて、どれだけ多くの人々が僕に個人的に影響を与えたのかってことがわかるように、あえて全員の名前を挙げる。

火曜日のリハーサルに出かけたとき、最初は緊張していた。 でも、徐々に馴染みの顔が見え始めた。同じシーズンのカーリー・スミッソンとデヴィッド・クック。 それからメリンダ・ドゥーリトル、ルーベン・スタッダード、クリス・アレン、アリソン・イラヒータなどなど。 それに、多くの舞台裏の親しい人たちも見えた。舞台監督のジャッキーやデビー、歌唱指導のマイケル・オーランドやドリアン。ドリナ、ミーガン、サム、パトリック、チャールズ、ナイジェル、ウィリーン、マイク、リッキー・マイナー、ギタリストのポール、ピート、ケィティやそのほか大勢の人々。

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デヴィッド・クックと僕。シーズン7のファイナル2だったあの時が懐かしい。


そのあとも、さらに多くのコンテスタントに会った。スコッティ・マッケリー、ローレン・アレーナ。ジョーダン・スパークス、ジャスティン・グアリーニ、タマイラ・グレイ、ダニー・ゴーキーや、他にも大勢。 初めて会う人達もいた。コルトン・ディクソン、キャンディス・グローバー、ジェシカ・サンチェス・・・。 本当にたくさんの人達がいた。 新しい番組スタッフのグアテマラ出身のシンシア、ニナ、レイチェル、ポール、ゲリ、ベッカ、ケルシー、マーゴット、オマール、アレックス、カルメンにメリー・ジェーン。

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舞台裏のスタッフ


今シーズンのコンテスタントにも会った。トレント・ハーモン、ラポーシャ・ラナエ、ダルトン、ギアーナ、リー、オリビア、アヴァロンとか。 トレント・ハーモンは初期のエピソードで僕の名前を出していて、あれは見ていてとても心に触れた。 自分のやったことが別の人に影響を与えたり、インスパイアしたんだって知ることは、ぼくにとってかけがえのないことなんだ。だから、彼に会って謙虚な人だってわかって、本当に嬉しかった。他の人達もとっても親切だったしね。

リハーサルのときに、一緒に仕事をした人たちや以前働いていた先の人たちに囲まれていると、8年前の16-17歳の頃の自分がいかに振り回されていたか、ぼくについて彼らが考えることをいかに優先させていたかを思って、奇妙な感じがした。 いまは、ぼくは自分を知っているし、番組のトップやプロデューサ、レコード・レーベルや会社を喜ばせることよりも、自分を優先させている。 ぼくたちみんながどんなに成長したか、そして、ぼく自身がどれだけ成長したかがよくわかった。 ぼくは、自分をパフォーマとして、人として成長させてくれた番組に、そして、かつてないくらい前向きな成長をさせてくれた番組に感謝している。

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アメリカン・アイドル シーズン7:トップ10 写真の左から時計回りに:ラミエル・ムルバイ、ジェイソン・カストロ、ブルック・ホワイト、マイケル・ジョーンズ、カーリー・スミッソン、クリスティ・リー・クック、サイーシャ・メルカド、デヴィッド・クック、デヴィッド・アーチュレッタ、チケジー(一番下の真ん中) Fox Broadcasting Co. Cr: Frank Micelotta/FOX


ビルボードのフレッド・ブロンソンにインタビューされた。 (ビルボードのチャートや曲について彼が書いた本は、13~15歳の頃のぼくに影響を与え、またそれまで知らなかったたくさんの新しい曲を教えてくれた)。彼は、シーズン7の真っ最中のころ、そのシーズンより前に番組を見ていたころ、そしてシーズン後に番組を見てそれぞれ何を感じたかを尋ねた。 ドルビー劇場は、以前はコダック劇場として知られていたことに気がついた。 ぼくは11歳のころにここにいて、ケリー・クラークソンが優勝するのを見ていた。 父が、ぼくが大ファンなのを知っていて、フィナーレのチケットをサプライズで取ってくれたんだ。 ぼくは、ナタリー・コールの数列後ろに座ったのを覚えている。彼女も出席してたんだ。 ケリーがアメリカン・アイドルの最初の優勝者として名前を呼ばれた瞬間や、紙吹雪を見ていたことを覚えてる。 いくつかのことはしっかりと覚えてるんだ(覚えておくのは大の苦手で、あれ以来、忘れる一方ではあるけどね)。いま、ぼくは最後のシーズンのためにここにいる。ただ、今回は同じ劇場の反対側、フィナーレのステージの上にいるわけだけど。8年前に、ぼくをこんなにもインスパイアしたこの番組の、コンテスタントとしての自分自身のフィナーレのときはどうだったかについても思いを馳せた。

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ケリークラークソン、デヴィッド・アーチュレッタに出会う


最初のシーズンを見ていたことを覚えている。ジャスティン・グアリーニとタマイラ・グレイが最終週に残っていた。タマイラからは大きな影響を受けた。彼女の “And I’m Telling You, I’m Not Going”のパフォーマンスからは特にね。それまでの11年間の人生で、あれほどのパフォーマンスを聴いたことも見たこともなかったんだ。 彼女ほど曲に魂とエネルギーを注ぎ込む歌い手を見たことがなかった。 ぼくは彼女に、そのパフォーマンス1つで、彼女がほかのどのコンテスタントよりもぼくに影響を与えたことを話した。 そして、それを録画し、覚えて、すべてのパートを完璧に彼女のように表現にしようとしていたことを話した。 彼女は「もうやめて。そうしないと泣いてしまうから」と言った。

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タマイラ・グレイ


ポリネシア人の警備員が大勢いた。 彼らに話しかけてみることにした。通常は少なくとも1人か2人はモルモンだから。多くのポリネシア人はモルモン教徒なんだ。ここでは3-4人がモルモンだった。

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左から右へ:マーク、フロスト、それにたぶんコリー(かな?)


そして、レッドカーペットだ。 レッドカーペットを歩くのは好きじゃない。なんか「ぼくを見て!どのように見えるか判断して!ここを歩いてる人たちと比べてみて!」 っていうように思えて、ただ好きになれないだけなんだけど(笑)。 本当に不安でたまらないのに、一度カーペットに乗ってしまえば、どんなに不格好に立っていても、何か別のことに集中しさえすれば不安は消えるんだ。 正直なところ、とにかくどんどん進んでいってしまいたいんだけどね。 知り合いのカメラマンを何人か見かけて、彼らを見ているのは楽しかった。ぼくたちが多くのインタビューや写真の嵐を通過するのを助けてくれるFOX広報のジル・ハドソン、ジェン、アレックスやニコルを見てるのもね。 ジェンは、ぼくのシーズンのアメリカン・アイドルのオーディションの間に、TV局のクルーが自宅の玄関まできたからって、ぼくがどんなふうに慌てて彼女に電話してきたかを話してくれた。母もぼくも恐れおののいていたんだ。 どうしていいかわからなかったんだ。で、 ただ何も答えなかっただけだった、あはは。

オープニング曲の“One Voice”の前は、不安に襲われた。 自分を落ち着かせようと深呼吸した。舞台裏には大勢の人がいて、みんな何か話していてとても騒がしかった。それがみんなぼくの不安を掻き立てるんだ。 みんなは興奮していて、ぼくだけが静かだった。 ぼくは、こういった状況ではいつもそうしているんだ、圧倒されてしまわないようにね。

後ろにジョーダン・スパークスがいて、いつものように弾けんばかりのエネルギーで「一緒にお祈りしましょうか?」って言ってくれた。 ぼくは「うん!」って答えた。 彼女は周囲に叫んだ「OK、みんな! いまからお祈りするから、よかったら一緒に祈りましょう!!」 だれにも声が十分には届かなかった。 コルトン・ディクソンとダニー・ゴーキーがブレーク・ルイスと一緒に寄ってきて、ジョーダンが祈り始めた。 祈っているうちに、恐れが遠のいていくのを感じた。 祈りは、いつもぼくの恐れを落ち着かせてくれる。 その効果は面白いほどだ。 祈りが終わって「アーメン」とつぶやいたとき、予想以上の数のアーメンが聞こえた。 見渡してみると、ステージのこちら側にいたグループのほぼ全員がぼくらの周りに集まって一緒に祈っていた。 特別な瞬間だった。 ジョーダンが静かでちっぽけな自分のことを気にかけてくれて、こんなふうに周囲のみんなを巻き込むことを恐れなかったことを嬉しく思った。これは一体感を感じる経験で、祈りが持つ様々な力のうちの一つなんだ。祈りは人々を集め、神とともにより高い目的の中に我々を一体化させる。

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ジョーダンはいつもアップビードで若々しい精神を持っている。彼女はポケモンギヤを見せること恐れない。祈りのために人々を集めることも恐れない。


ぼくらがステージに出ようとする直前に、タマイラ・グレイがぼくを呼んで手を握って言った。「いま、あなたと一緒にあのステージに出たいの。 あなたのエネルギーを感じながら、この瞬間をあなたと分かち合いたいの」 素敵な瞬間だった。

終わりごろ、ステージの袖からトレント・ハーモンがシーズン15の最後の優勝者になる瞬間を見ていた。 それは、ぼくらこれまでのコンテスタントやすべてのクルーにとって、感極まる瞬間だった。 ぼくらはみんな伝説の一部で、番組をできる限り良いものにしようと懸命に努力してきた。 ぼくは、涙をこらえるのに必死だった。 みんながステージに出てトレントを祝い、みんなにさよならを言った。 ハグと涙と写真撮影や録画で満ち溢れていた。(ぼくはいつも写真やスナップチャットを自動的に避けちゃうんだ。 なぜだかわからないけど、ぼくの習性になっちゃってる)。

トレントを直接祝うことはしなかった。とても大勢のひとたちが彼をもみくちゃにしていたから、ぼくとしては彼に息をつく時間をあげたかった。 彼の家族にはお祝いを言えた。 みんなとってもいい人たちだった。

アメリカン・アイドルは、ぼくの人生のなかでたぶん最も難しい出来事だった。 最初の四半世紀の中で、最も夢のようで、劇的で、圧倒的な時間だった。 多くの人がぼくに、チリでの2年間のミッションの方が大変だったんじゃないかっていうけど、本当にそうじゃないんだ。 アメリカン・アイドルほど、ぼくの性格にとって挑戦だったことはない。 ぼくの人生の中で、あれほど孤独を感じたことも、あれほどの誘惑を受けたこともない。 あんなに激しい変化も初めてだった。 あれだけ多くの上っ面の出来事やうわべだけの人々に囲まれたこともない。 ぼくについてあれほど多くの人たちから良いことや悪いことを言われたこともなければ、カメラに付きまとわれて、望まない関心を引くためだけにぼくの人生についてつくり話をされたこともない。 いつも自分を世捨て人だと考えていた内向的な人間にとって、これが何を意味するかなんて語れないよ(笑)。 でも、あれがぼくを強くしてくれたことは確かだ。 いまの自分があるのは、番組での経験によるところが大きい。カメラ嫌いは迅速に克服することができた。 人々とどうやって会話をするかも学んだ。批判と賛辞の両方をどうやって受け入れるかも学んだ。正直なところ、賛辞を受け入れる方が難しかった。 親切であることや「ありがとう」ということを学ばなければならなかった。

番組で過ごした時間の中ですばらしい友人もできた。 コンテスタントやクルーの多くに話す機会はもうないけれど、彼らのことは気にかけている。 彼らはぼくにとって大切な人たちだ。 あの番組を体験できて、本当に良かった。 おかげで、話すべき多くのストーリーができた。 あの番組の最終回に参加したことで、素朴でティーンエージャーそのものだったぼくが、エンターテーメント産業のクレージーな世界に投げ込まれて得たすべての経験について未解決だった多くの感情に決着をつけることができた。 アメリカン・アイドルは一生に一度の機会だった。 一生に一度っていうのは、二度とあれを繰り返したくないからではなく、いままで自分が行けるとは夢にも思っていなかった場所にぼくを連れ出し、経験できるとは想像もしていなかったことを経験させてくれたからなんだ。 ぼくを行くように駆り立ててくれた神に感謝する。 あれは、ぼくが番組に行って何かを学ぶてめに必要な促しだった。 そして、ぼくが前進し続けるように動機づけてくれた父に感謝する。最初のオーディションでダメだったとしても、ぼくはそれで良かったと思うだろうから。 彼は確かにメディアから多くの非難を受けたけれど、いまのぼくがあるのは、彼がぼくに動機づけし続けてくれて、ぼくに自分が思っているよりも多くの何かがあるって言い続けてくれたからだってことは、たぶん誰も知らないだろう。

番組を見てくれたみんな、ありがとう。 ぼくらに投票してくれたみんな、ありがとう、 あの番組に出演した各自の経験の中で、きみたちそれぞれが何らかの役割を果たしてくれたんだ。 ぼくにとって、ファンの全体概念をつかむことは難しいけれど、何年にも渡るみんなのサポートやぼくに耳を貸そうという姿勢にはいつも感謝している。 ほかのコンテスタントもみんな同じように考えている。自分が言うことや分かち合いたいことを聞いてくれる人がいるって知るのは、素晴らしいことなんだ。


※※※※

な、長い・・・・。あんまりだ~。

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20歳のデヴィッド・アーチュレッタ-LDS Living インタビュー記事 [インタビュー・記事]

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LDSリビングというのは、記事内容(「デヴィッドにクラッシュ」「離婚したばかりの人にかける言葉・かけてはならない言葉」)や広告の内容(シリアル、パン、スイーツ、人生相談etc)から判断すると、どうやらLDSの主婦層向けの隔月刊の雑誌のようです。
この2011年11/12月号にデヴィッド・アーチュレッタが特集されていました。この表紙の写真に見覚えのある方も多いと思います。

この記事、kaychanや4126さんと約束したこともあって1ヶ月ほど前に訳したのですが、実はずっとアップするかどうか悩んでいました。私にとって、この記事の内容は、デヴィッド・アーチュレッタのこれまでの活動の根拠、目的、見ている先が、あくまでもLDSなのだと強く感じられるものだったからです。
以前、デヴィッドは、どこかのラジオインタビューで、半ば老獪なインタビュアーに誘導される形で、自分はコンサートを布教活動だと思っている、音楽活動を伝道と見なすことができないか教会と相談している、という趣旨の発言をしたことがあるのですが(音源が削除されているため、記憶です)、このインタビューを読んで、それを思い出すと共に、やはりそうだったのか、と感じました。そして、これはLDS以外の人々にとって、必ずしも知る必要のないことではないか、場合によってはマイナス・イメージにつながりかねないんじゃないか、と。

ところが、デヴィッドは先日12/21に、ソルトレイクシティでのコンサートで、自ら、音楽活動を休止し、2年間の伝道(LDSの布教活動)に出ることを正々堂々と発表しました。
まあ考えてみれば、彼は最初から正々堂々とモルモン教徒だったわけで、それに誇りをもち活動し続けていただけなのでしょうが・・・。

というわけで、このLDSリビングの記事は、今となっては、今回のアナウンスメントにつながるデヴィッドの考え方がある程度汲み取れる内容になっています。20歳のデヴィッドが何を考えているのかが少しわかるかもしれません。

また、記事の前半は、デヴィッドのこれまでの歩みを簡潔にまとめた内容になっていることから、本ブログの最終記事にふさわしいと考え、ここに掲載することにしました。

※残念ながら私はLDSの教義はまったく知りませんので、できるだけLDSのHPで使用されている訳語を使用するようにはしていますが、適切とは限りません。ご了承ください。原文でお読みになりたい場合は、こちらにスキャン記事があります。
※デヴィッドは、2011/12/28に21歳の誕生日を迎えましたが、このインタビューおよびソルトレイクシティでの発表は彼が20歳のときになされたものなので、このタイトルにしました。

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Staying in tune
by ジャミー・ローソン

20歳の歌うセンセーション、デヴィッド・アーチュレッタは音楽の力を通じて無数の人々と触れ合ってきた。彼は自らの声と自身の例を通じて人々に霊感を与え続けたいと望んでいる。


デヴィッド・アーチュレタは音楽一家に生まれた。彼は、父のジェフが様々なジャズバンドと一緒にトランペットを演奏し、母ルペがサルサの歌手&踊り手としてステージで輝く様子を見ながら成長した。5人兄弟の2番目として、アーチュレッタは、近所の人々や友人のために、家族とともにミュージカルの曲を演奏することも多かった。しかし、6歳でレ・ミゼラブルの10周年記念コンサートのビデオを観たとき、彼の心のなかで音楽への情熱が決定的になった。

「ぼくは、どうしてもビデオを観ることを止められなかった」とアーチュレッタは思い出す。「話の筋を理解することはできなかったけど、人々が歌う、その歌う様子が大好きだった。あの歌い方、あの感情・・・それがぼくを虜にしたんだ。」


旅のはじまり
レ・ミゼラブルに触発されて、アーチュレッタは、生まれながらの恥ずかしがり屋で自らの声を心地悪く感じていたにもかかわらず、歌うことに熱中していった。彼はパフォーマンスし続け、両親の指導のもとに技術とショーマンシップを磨いていった。そして彼が10歳の時、母親が彼にとって最初のコンテストとなる「ユタ・タレントコンテスト2001」に彼をエントリした。
「あまりに緊張して、心臓発作を起こしそうだったよ。ぼくはとにかく心配性で、内気だったから。」しかし、彼の不安と自信喪失、さらには、出番直前に舞台裏で本格的なパニックに襲われたにもかかわらず、アーチュレッタが歌った”I Will Always Love You”は観客のスタンディングオベーションを受け、子供部門で優勝した。彼にとってこの優勝は青天の霹靂だったが、観客の反応に興奮し、恐怖に正面から立ち向かった自分に強い誇りを感じた。
このタレントコンテストの後、両親は彼がパフォーマンスできる機会を探し続けた。CBSのJanny Jones Show やThe Early ShowなどのTVへの出演。そして2003年には、TV番組Star Searchでジュニア部門のボーカル・チャンピオンになった。これは、アーチュレッタが正しい道を歩んでいることを再確認させてくれる出来事だった。しかし、それはすぐに疑念と絶望に置き換わることになる。
「優勝した翌年に、Star Searchのチャンピオン大会に招待された。でも、ぼくはその頃、息をしたり、歌ったり、話したりすることが難しくなってきていた。すぐにぜいぜいいってしまって、一度に数分間しか歌うことができなくなった。」医者を訪れたアーチュレッタは衝撃的な事実を告げられる。彼の声帯が一部麻痺しているというのだ。
治療法はリスクの高い手術(声を永久的に損なう可能性がある)か、ボイスセラピー(麻痺した声帯が、運が良ければ徐々に回復する)のいずれかしかないという。アーチュレタはセラピーを選んだが、楽観的にはなれず、13歳にして彼の歌手になるという夢は急速にしぼんでいった。
「その診断を受けたとき、ぼくはもう諦めていたんだ」とアーチュレッタ。「1、2曲歌うと疲れてしまっていたから。歌手になるには、フルコンサートを歌わなければならないし。本当に落ち込んでしまって、人生何をしたらいいのかまったくわからなくなった。」
そして彼はこう続けた。「だから、学校に行こうとだけ、決めたんだ。ずっとホームスクーリングを受けたり止めたりしてたから。中3で初めて1年間学校に通った。それから高1でも。普通の子供のようになろうとしたけど、課外活動は苦手だった。そして、何か自分の一部をなくしてしまったように感じていたんだ。」

アメリカン・アイドルでの経験
アーチュレッタは学校に通い続けた。そして、16歳になったとき、アメリカン・アイドルシーズン7のオーディションが始まった。同番組の開始当初から熱烈なファンだった彼は、ついにオーディションに参加できる年齢に達したのだ。しかし、その時には、彼は自分の能力に自信を失ってしまっていた。
アーチュレッタの家族や友人は、彼にオーディションに参加するよう励まし続けた。その考えが頭から離れないので、彼はその決断を祈りに託すことにした。「何かが『オーディションに行きなさい』と言い続けた」と彼は言う。「ぼくはそれを無視し続けようとした。だから、祈りの後に(オーディションを受けるという)強い気持ちを感じたことにショックを受けた。でも、きっとその経験から何かを学ばなければならないのだろうと思った。例えば誰か会うべき人に会う、とかね。」
父の助けを借りて、アーチュレッタはオーディション用の選曲を始め、2007年7月、二人は飛行機でサン・ディエゴへと向かった。アメリカン・アイドルの審査員に自らを印象づける機会を求める数千人の参加者の一人として。アーチュレッタはいくつかのラウンドを通過し、ハリウッド・ウィークでは、審査員から全員一致で準決勝に進むことを承認された。そして、最終的にTV番組に出演して競う24名のコンテスタントの一人に選ばれた。
「アイドルの経験は、すべてがとても凄まじかった」と、番組での経験についてアーチュレッタは語る。「ほとんどは有意義な経験だったけど、あらゆるプレッシャーと戦いながら自分を信じるっていうのは、とてつもなく困難な挑戦だった。」
アーチュレッタはアメリカン・アイドルの経験を「歌手のブートキャンプ」と表現する。「毎週iTunes用に曲をレコーディングしないとならなかった。インタビューに写真撮影、フォードのCM用のミュージックビデオ撮りもある。ファンレターにパパラッチもね。毎週、数百万の視聴者の前で争っていたし。だから、『もし、これをやり遂げることができたら、何だってできるぞ』と思った。」
スポットライトの中での過度のプレッシャーと極限のスケジュールにもかからわらず、アーチュレッタは、なんとか自らを際立たせることができた。13週間に渡る仲間との戦いの後、彼は誰もが望んだファイナルの席を勝ち取り、もう一人のファイナリスト、デヴィッド・クックと1対1で争った。アーチュレッタは、歌った3曲すべてにおいて観る者を魅了するパフォーマンスを披露し、観客と審査員を唸らせた。アメリカン・アイドルの審査員サイモン・コーウェルは、アーチュレッタが勝つとまで予告した。しかし、2008年3月21日、番組終了後に寄せられた9700万票の集計の結果、最終的にクックがアメリカン・アイドルの称号を持ち去った。そして、アーチュレッタは、この結果に完全に満足だった。
「ぼくには、自分が優勝しないことがわかっていた」と彼は言う。「でも、あれは人生を変える経験だった。とても多くのことを学ぶことができた。これはすべて、オーディションに行くように促す声に従ったからなんだ。」

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アメリカン・アイドルの後、アーチュレッタはJive Recordとレコーディング契約を結び、2008年11月には、自分の名前を冠したアルバム”David Archuleta”が発売された。これは、まさに夢の実現だったが、舞台裏では、彼は常にレーベルとぶつかっていた。
「レーベルのマネジメントは、ぼくを、ぼくがアメリカン・アイドルで表現していた自分自身とは大きく異なる者に仕立てることを望んでいた。そして、「君は、自分が何者かを知らないんだ。自分が何者になりたいかをわかってないんだよ。これが、君なんだ」と言ってくる。でも、ぼくは、「何だって?それは、ぼくじゃない。そっちのほうがラジオで多くかかるかどうかは別にして、それはぼくがやりたいことじゃあない。ぼくには、二重の意味を持つ歌詞は必要ない。物事が誤って理解されることは望まない。音楽は影響力を持っている。ぼくは、アーティストとして人々の考え方や感じ方に影響を与えることができる。誰もぼくに対して、ぼくが何者であり、何者でないかを語ることはできない。ぼくは、自分自身に対して忠実であり続けるしかないんだ。」
このアーチュレッタの頑張りは功を奏した。彼の最初のシングルCrushはビルボード・ホット100に第2位に初登場し、現在まで約200万枚を売り上げている。しかし彼は、ロマンスが彼の好むトピックでないことをすぐに認めた。
「ぼくは、まだそういう関係を経験していない。でも、みんながぼくに歌わせたいと思っているのはそれなんだ。ぼくは、そのことに、とてもフラストレーションを感じた。彼らは『それが、みんなが感情移入できることなんだよ』と言うけれど、でも、ぼくが感情移入できないんだ。」
事実、アーチュレッタは、独り身である今の状況をすぐに変えるつもりはない。「真剣に誰かと付き合うことは、今のぼくにとって重要なことじゃない」と彼は説明する。「そういう関係に入るより前に、ぼくには、音楽的にも人間的にもやらなければならないことがたくさんあるんだ。」
では、いつになったら女性と真剣に付き合い始めるつもりなのか?理想の女性に望むものは何なのか?「正しい価値観を持っているひとがいいと思う。家族を大事にして、他者のことをたくさん考えるひと。自分がそのひとから学べるようなひとがいい。冒険好きで新しいことに挑戦しようとするひと。楽しいことが大好きで、それに、食べることが好きなひと。ぼくは食べ物が大好きだから、彼女もそうだといいなって。」そう言って、彼は笑った。「とにかく、すてきな心の持ち主がいいよね。」
デヴィッドは、彼の3枚目のアルバムThe Other Side of Downの中で、その理想の女性に捧げる曲までも書いている。曲名は”My Kind of Perfect”。
「いつか現れるその女性が誰であれ、ぼくは、ぼく自身でありたい。これが、ぼくのラブソングなんだ。その女性がどんな人なのかを気にしながらね。」

音楽の力
何について歌うかに関係なく、アーチュレッタの目標は、自分の音楽と強い性格を通じて、人々の心に触れることである。
「音楽はぼくの人生を変えた。だから、ぼくも誰かに対して同じことができたら、と思う」と彼は説明する。「ぼくは、とにかく正直でありたい。本物のメッセージを持つものについて歌いたい。それは、ぼくの心のいる場所であり、ぼくが愛するものだ。ぼくは、それこそが自分がなすべきことだと思っている。」
アーチュレッタは、音楽が人々の心に届く方法と、御霊(みたま:Spirit)が音楽を通じて人々の心に届く方法が故に、自らのキャリアを選択したと言う。「ぼくが音楽をやる理由は、それを感じるからだ。つまり、御霊なんだ。それが、ぼくが探し求めているものだ。ぼくが歌うことを通じて人々と繋がりたいと思うのは、そのためなんだ。」と彼は言う。「ぼくが歌うと、『いままでに感じたことないものを感じたわ。とにかくありがとうって言いたくて』と言う人がいる。東海岸の人たちや他国の人々からそういう手紙をもらうのは、いつだって興味深い。」
彼はこう付け加えた。「自分がなろうとしている人についてであれ、自分が演奏しようとする音楽の種類についてであれ、どんな些細なことでも誰かに影響を与えることができるっていうのは、いつだって驚くべきことだよ。」

Glad Christmas Tidings
アーチュレッタが音楽を通じて御霊を伝えるために持ったこれまでに最も力強い機会は、去年、彼がモルモン・タバナクル合唱団と一緒に出演したクリスマスコンサートだろう。彼は、アメリカン・アイドルが終わったあとすぐに、合唱団との公演に招かれていた。しかし、残念ながら彼は他の義務に拘束されていたため、その時点ではそれがかなわなかった。しかし昨年は、ついに彼のスケジュール上でこの名誉ある招待を受けることが可能になった。
「合唱団と一緒に歌うことは、素晴らしい経験だった」と彼は言う。「緊張で神経がピリピリするけれど、それでも素晴らしい。ぼくはずっとモルモン・タバナクル合唱団を聞きながら育ったからね。彼らがぼくを誘ってくれて、一緒に歌うことができるなんて信じられなかった。とても名誉に思うと同時に、本当に恐縮してしまった。自分のこれまでのすべての経験を超えて、あれは本当に特別だった。自分が今まで成し遂げたことの中で、最も素晴らしいことの1つだと思う。」
その頃のアーチュレッタは3枚目のアルバムのプロモーションで飛び回っていたので、彼がリハーサルのためにユタに戻れたのは、コンサートの約3週間前になってからだった。「あまり時間がなかった」と彼は思い出す。「ぼくがようやく戻れたとき、マック・ウイルバーグに会うと、彼はとっても心配していた」アーチュレッタは笑った。「マックはぼくに『やらなきゃならないことが山ほどあるぞ』って言ったよ。」
ラテン系の彼は、ウィルバーグが彼のために特別に選曲したスペイン語の曲”Los Pastores a Belen”にとても興奮した。アレンジが完成したのはコンサートの数日前だったにもかかわらず、アーチュレッタはこの曲を、ラテン・バウンスをふんだんに用いたアップビートの傑作に変えて完璧に歌った。「あれは、ぼくが大好きな曲だ」とアーチュレッタ。「あの曲と、あとSilent Nightがね。」
彼は続けた。「最初のパフォーマンスは、本当に怖かった。合唱団が近年築きあげてきた評判に、自分が応えることができるかどうかわらからなかったんだ。多くの人達が、ぼくに懐疑的だった。年配の観客は特にね。まだ若かったし、アイドル以降のぼくのキャリアは完全にポップ路線で、ティーン中心だったから。でも、結果的に得られたレスポンスには満足している。自分が十分に教会を代表し、合唱団を代表することができたと思いたい。」

Stay in Tune
アメリカン・アイドルのオーディションを受けるという決断から、歌う曲の選択や個人的にどうふるまうかの決断に至るまで、アーチュレッタは、霊感を受け取り、神と他の人々に仕えるためにどうすれば最善を尽くせるかを知るために、霊的に強くあろうと努めてきた。
「ぼくが、現在このような活動をしている第一の理由は、天の御父のためだ」彼は説明する。「ぼくは自分のためにこれをしているんじゃない。ぼくは、天の御父を喜ばせるような方法で自分の人生を生きようとしているんだ。ぼくは、天の御父が、ぼくがこうすることを、そして、それをこのような方法で行うことを望んでいると実感したんだ。誰もが自分に与えられたものを分かちあうべきだ、そうでしょう?ぼくにとって、それは音楽だけじゃなくて、ぼくが為すことすべてなんだ。ぼくはいつも、この人生を最も意味あるものにするために何をすることが必要なのかを問うている。それは、神の召しのようなものだと思う。」
20歳のLDS教会員として、あまり伝統的な生き方をしていないことや、現在まで正規の伝道に出ていないことについて、しばしば詮索され、批判を受けている。しかし、アーチュレッタは何が自分の道なのかを知る自らの力について、揺るぎない信仰を持っている。
「ひとはみな、ぼくの人生についていつも彼らの意見を言うけれど、ぼくは自分が何をすべきか、何をすべきでないかを知っている」と彼は言う。「ぼくは、決定がどのように自分に影響を及ぼすのか、またほかのひとに影響を及ぼすのかについて考える。そして、ぼくはいつも、どうすれば自分の人生を最も価値あるものにできるかを探し求めている。ときには、得られる答えがずっと後になるまで意味をなさない場合もある。他の人には何の意味ももたない場合もある。でも、ぼくは自分が常に感じる”感じ”に耳を傾けようとしている。それは、ときにはとても恐ろしく感じられるけれど、ぼくは、それを信じることを学んできたんだ。」
そして彼はこう付け加えた。「今後のぼくの決定は、それが個人的なものであれ、歌手としてのものであれ、人々を驚かせるかもしれない。ぼくは、ぼくが何をしようと、みんながぼくを理解してくれるといいなと思う。ぼくは、天の御父がぼくにそうせよということをしようとしているだけなんだ。」

◆◆◆ ◇◇◇ ◆◆◆ ◇◇◇ ◆◆◆ ◇◇◇ 



いまのデヴィッドがいまのようにあることに、信仰がかなりの影響を及ぼしていることは否定できません。
願わくば、その信仰が特定の教義や宗派にとどまることなく、より普遍的なものにならんことを。

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デヴィッド・アーチュレッタが正規の伝道に出ることを発表 (2011/12/19) [Announcement]

デヴィッド・アーチュレッタが2011/12/19のソルトレイクシティのコンサートで、アンコール曲を歌う直前に行った重大発表について、オフィシャルサイトが公表した動画とそのおおまかな日本語訳を記録しておきます。

Credit: TheOfficialArchuleta

ここに戻って来られて、このクリスマスツアーをやって、ぼくにとってとても意味のある曲を歌えるってことが、そして、今夜ここにいるみんなと共にいるってことが、どんなに特別なことなのか、言葉にするのは難しいけど・・・故郷ほど素晴らしい場所はないよね。ぼくは、いつもそう言ってるけど。この数年を振り返って、ぼくらへのあらゆる支援や、ぼくらと、そして、ぼくが経験した素晴らしい出来事を思うと、自分はなんて幸せなんだろうと思う。今夜、故郷のこの場でみんなの前にこうしている間に、特別な発表をしたいと思う。ぼくは、正規の伝道に出ることを決めた
・・・(大歓声、スタンディングオベーション、悲鳴)・・
末日聖徒イエス・キリスト教会の伝道活動に。
誰かがぼくに、そうすべきだと言ったからでも、ぼくがこれ以上音楽をやりたくないからでもない。ぼくが、ぼくの人生で次にこれをやるべきだと感じたからだ。これは、ぼくがいつも従ってきた、そして従おうとしてきた「感じ」と同じものだ。ぼくに、多くの機会や克服しなければならない挑戦、それに祝福を与えてくれた、あの「感じ」だ。ぼくは、その「感じ」を信じることを学んだ。そして、それに召されたときには、応えなければならないことを学んだ。それが、ぼくが人生で次にこれをしなければならないと知った理由だ(涙声)。みんなには、とにかくありがとうと言いたい。(大歓声) 来年前半には(伝道に)出る予定だ。この故郷で、みんなの前にいるときに、これを発表したかった。みんなはぼくにとってとても大きな意味のある存在だから。本当にありがとう。
※末日聖徒イエス・キリスト教会の教義に関しては知識がありませんので、訳語が不適切な場合があります。ご了承ください。

★ 末日聖徒イエス・キリスト教会の伝道活動の詳細に関しては、こちら(日本語)


★上記発表時の、ファン撮影のアップ映像

Credit: pattycake04


★発表==> O Holly Night

Credit: jtmlm1234

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MKOC Tour in Ventura, CA (2011/12/16) - シェイマスくんのレポ!! [Performance]

P1000354.jpg
Thanks シェイマスくん for lovely photos!!
Credit: luckyduckie15

ぼくにとってのクリスマス

ぼくにとってのクリスマスは大いなる祝福
かけがえのない家族や友人とともにすごす時間

ぼくにとってのクリスマスは築いていく思い出
自分に与えられる以上のものを与えようと思い返す時間

ぼくにとってのクリスマスは今夜の祝福
忘れられた内なる光がまぶしい輝きを放つ

ぼくにとってのクリスマスはぼくの聖なる場所
まさしく、永遠なるこのとき、この場所
そして、雪の中のぼくの天使たちがあらゆる行いを祝福する
みんなにメリークリスマス――ぼくにとってのクリスマス
© Takakoさん


わーい。なんとシェイマスくん撮影の生写真にTakaoさんのMy Kind of Christmasポエム訳ですよっ!
やったね~♪
最高のクリスマスプレゼントだ~(^o^)/
お二人とも、本当にありがとう!!

そう、実は、カリフォルニア州ベンチューラのベンチューラ劇場で2011/12/16に行われたデヴィッド・アーチュレッタのMy Kind of Christmas コンサートに、我らがシェイマスくんがなんとVIPから参加。そして、日本のファンのみんなのためにと、頑張って写真&動画を撮影してくれました!!(ぱちぱちぱちっ)

本当は12/14のクラブ・ノキアにもVIPから参加予定だったシェイマスくんですが、残念ながら風邪でダウンして行けなかったそうです。なんでもノキアでのコンサートに行くためには、ロス・アンジェルスのダウンタウンをめちゃくちゃ渋滞する時間帯に運転しないとならないそうで、それは確かに怖いし危険。この場合は大事をとって正解でしょう。

でも、その分、ベンチューラはとっても良かったそうですよ。
なんせ、ベンチューラ劇場ときたら、ロケーション抜群で海のすぐ近く、さらに、

S: すんげ~、オンボロ(爆笑!!!)で、小さな学校の体育館より小さかった!!!

えっ!?
あの、都会的なクラブ・ノキアの後の会場がそれですかっ?(笑) 
いちおう公開されている劇場の写真を見ると、こんな感じなんですが・・・

majestic-ventura-theatre--large-msg-1127499502-2.jpg

(し~ん)

こほん、えー、会場はともかく、VIP&コンサートの内容は濃いなんてもんじゃありません。充実してますよ~。
だって、ほらっ!!

アーチー&シェイマス.jpg

うわあ。みてくださいこのピンクの髪っ!
じゃなくて、デヴィッドのこの笑顔っ!!!
これは、かなり楽しい会話をしたと見ましたよ~。
ちなみにシェイマスくんが着ている衣装(?)は、スポンジ・ボブのクリスマスのスクラブ(医療系ユニフォーム)だそうです。こういうユニフォームがあるなんて、さすがアメリカ・・・(^_^;)。
たしかデヴィッドはスポンジ・ボブが大好きなんですよ。シェイマスくんは知らなかったと思うけど~。

気になる会話の内容ですが・・・

S 「沖縄のライブに行ったよ。わたしがLAから来てた子(※)です。覚えてる?」
D 「あああああ~~~~。覚えてる、覚えてる!!!」
S 「動物看護師として緊急のシフトやベンチュラ郡の動物保健所でもパートで働いているのだけれど、LAに来たときにもし興味があったら声をかけてください。喜んで案内します。特に保健所は一般の人々への理解が必要だから、もし応援してくれるのならとてもありがたいです。」
D 「OK。」


※沖縄では、シェイマスくんは残念ながらM&Gには参加できませんでしたが、コンサート終了後に舞台近くで偶然 意図的に狙って(JCちゃんから訂正入りました・笑)デヴィッドとバンドメンバーに遭遇。そこで、簡単な挨拶とハイタッチを交わしたそうです。そのとき、シェイマスくんの友人のJCちゃんが、デヴィッドに"She's from LA~~~!!!"って叫んでデヴィッドを呼び止めたんですよ。だから、この会話が成立してるんですね~。
※もちろん、この会話は英語でなされています(笑)。会話訳は、シェイマスくん本人です♪

◆ VIP

P1000292.jpg


VIPの質問コーナーでは・・・・シェイマスくんは「みんなのために写さなきゃ!と使命感に燃えて最近ぜんぜん使ってなかったカメラの機能をチェックしていて」まったく内容を聞いていなかったそうです(笑)。


VIPでデヴィッドが歌った曲は、「Heaven とGood Place & Let it be のコラボ」だそうです。
シェイマスくんは、3曲とも大好きな曲だったとのことで、すごくラッキー!

Heaven
Credit: xXAllieSings94Xx

Good Place & Let it be
Credit: brandibunn1


そうそう、シェイマスくんのVIP&コンサートでの座席ですが、なんと前から3列目のど真ん中だったそうです。こじんまりした劇場だったので、舞台まで遮るものは何もなし。すぐそこにデヴィッドがいたんですねえ、羨ましいっ。

+++ +++ +++


◆ コンサート・前半

P1000318.jpg

01 Sleigh Ride
Credit: ShelleyFOD

02 Melodies of Christmas

03 This Christmas
Credit: brandibunn1

04 The Other Side of Down

05 Wait
Credit: brandibunn1

06 Zero Gravity (partial)
Credit: shiftlockfran

(Full)
Credit: brandibunn1

07 Crush

08 Have Yourself a Merry Little Christmas
Credit: brandibunn1

09 Climb Every Mountain
Credit: jtmlm1234

さて、前半を終えたシェイマスくんはの感想は、というと、

S: 前半はとにかく写真をとっても全部ボケボケで、あせりましたよ・・・
めばるさんいわく、「多動症」!!!
で、お休み時間に動画の機能を探しだした。
だって絶対に「静止写真」は無理だもん・・・(笑)


あちゃ、ここでもみんなのために必死だったんですね。ありがとう~。
しかも、休憩時間に動画撮影機能を『探しだした』!?
ってことは、いままで動画を撮影したことがなかったんですね(涙)。

+++ +++ +++


◆ コンサート・後半

P1000351.jpg

そして後半、シェイマスくんは冒頭の2曲 Ave MariaとPat-a-Panを撮影してくれました!すごい、えらいっ。
ファイルが大きいのと、動画の撮影もアップも初めての作業なので、アップまで少々時間がかかります。アップでき次第ここに紹介しますね♪--> アップしました!!

10 Ave Maria

Credit: シェイマスくん

11 Pat-a-Pan

Credit: シェイマスくん

12 Fa-la-la-la-la ~ My Kind of Christmas
Credit: luckyduckie15

13 I Need a Silent Night
Credit:jtmlm1234

14 Silent Night
Credit: ShelleyFOD

15 The 1st Noel
Credit: luckyduckie15

16 Riu Riu Chiu
Credit: luckyduckie15

17 O Holy Night
Credit: luckyduckie15

アンコール
18 Little Drummer Boy
Credit: Credit:jtmlm1234

そして、コンサート終了後のシェイマスくんの感想です。
言い忘れましたが、シェイマスくんは、いわゆる「デヴィッドのファン」というわけではありません。
しかし・・・

S: 行ってほんとによかったです。
あの声は本当にすばらしい・・・
それから歌ってるときと普通のときと性格変わるってのは本当だ・・・
歌ってるときはなんか、観客のひとり、ひとりの目を見つめて歌ったりするんだね・・・
それも長い間。

だからさっきアマゾンでDavidのクリスマスのCDとMOTABのDVDを購入した・・・
ハハハ
そう、実はまだ持ってなかったの・・・
また彼のコンサートに行きたいな。
歌うまいし、楽しいし!
それに、今回動画撮っててよかったよ。
何回も感動が味わえるっていうの?
だからみんなにも見せたいんだよね。
って、そんなに期待されちゃっても困るけど・・・笑


ふっふっふっ、君も完璧に『デヴィッド・アーチュレッタのファン』になったんだね~♪
やったね(^^)v

シェイマスくんが一生懸命撮影してくれた写真たちはこちら
大量に撮ったボケボケ写真(本人談・笑)の中から、それでもぼけてない部類を厳選してくれました。どうもありがとう~。

+++ +++ +++


早いもので、MKOCツアーもあと2日を残すのみ。

最終日の12/21のビーバークリークには、Aicoちゃんが行く予定です♪ 彼女にとっての2011年は、まさに激動の、そして充実した年だったようですが、締めくくりはデヴィッド・アーチュレッタの最高のコンサートで♪ 思いっきり楽しんできてね!!


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デヴィッド・アーチュレッタ "My Kind of Christmas Tour" 開始! 2011/12/1~  [Performance]

いやあ、11月はめちゃくちゃ忙しかった。
途中で何度も挫折しそうになりながら、なんとか最終締め切りを落とさず、11/30夕方に納品。
最後2日間は完徹で、思いっきり年齢を自覚させられました~(^_^;)。

そんなわけで、デヴィッドとはすっかりご無沙汰で、もう追いかけるのは無理だなあと思っているわけですが、ところがどっこい(古っ)。徹夜明けの呆けた頭と耳に、すばらしい音が飛び込んできたじゃあありませんか。

それが・・・My Kind of Christmas Tour!・・・ではなく(えっ?)、
怒涛の地獄に堕ちる前に聞いた11/2の香港CASBAAでのアコースティックコンサートの「めちゃくちゃ音のいい」映像でした。

1. Gotta Get Thru This - Message in a Bottle (日本に捧ぐ)
※これってつまり、日本人はきっとこの難局を切り抜けられるに違いない(gotta get thru this) っていうことで,この場のために、ちゃんと考えて選曲したんですよね、きっと・・・(^_^;)。

Big thanks to cristobalite4126

2. Everybody Wants To Rule The World
3. The Other Side Of Down
4. Wait
Excellent job by cristobalite4126 as always!

5. Crazy
6. Crush
7. Stand By Me
Thank you so much again cristobalite4126!!!

オリジナルは縦横比が狂ってる残念な映像ですが、cristobalite4126さんにより、正しいサイズに調節されて、画面もばっちり。
しかし、デヴィッドって本当に歌がうまいんですねえ。このアコースティック演奏は、バンド(ギター)も素晴らしい。若干、Waitに切なさが欠けているような気がしますが、それは、デヴィッドの横顔ドアップの苦しげな映像でカバーされているし(笑)。 どちらかと言えば完全Awayに近い会場で、最後にはスタンディングオベーションする人の姿が見えるのも頷けます。

いやあ、この映像は良かったわ~。
なんだか生き返った気がしました。
4126さん、見つけてくれた上に修正アップして紹介してくれて、本当にありがとう♪♪♪

★★★ ★★★ ★★★


で、地獄から蘇った日が、2011年冬のツアー"My Kind of Christmas Tour"の開始日。
おほほ、まったくよくできてるじゃあありませんか。
しかし、このツアー、日程はかなりびっちりですが、会場はかなり地域的に偏ってますねえ・・・。

12/1 ウエストバリー劇場 (ニューヨーク州ウエストバリー)
12/2 アーヴィング・プラザ (ニューヨーク州ニューヨーク)
12/3 ターニング・ストーン・リゾート&カジノ (ニューヨーク州ベローナ)
12/4 シャーマン劇場 (ペンシルバニア州ストラウズバーグ)
12/8 ニッティング・ファクトリー (アイダホ州ボイシ)
12/9 ブラックフット・パフォーミングアーツセンター (アイダホ州ブラックフット)
12/10 ヘリテージセンター劇場 (ユタ州シーダーシティー)
12/13 ウェルズ・ファーゴセンターフォージアーツ (カリフォルニア州サンタローザ)
12/14 クラブ・ノキア (カリフォルニア州ロス・アンジェルス)
12/16 ベンチューラ劇場 (カリフォルニア州ベンチューラ)
12/17 シティ・ナショナル・グローブ・オブ・アナハイム (カリフォルニア州アナハイム)
12/19 アブラヴェニエールホール (ユタ州ソルトレイクシティ)
12/21ヴィラー・パフォーミング・アーツ・センター (コロラド州ビーバークリーク)


すでに現時点で12/1、12/2の2回のコンサートが終了していますが、あと2日間も連続するのですねえ。ふえー。
と、とりあえず、初日12/1のニューヨーク・ウエストバリーがどのようなコンサートだったのかを確認してみましょ。

David-Westbury-3.jpg
Photobucket

なんとなく、今回の衣装は全会場共通っぽいですねえ (^_^;)。 識別が難しそうです(笑)。
セットリストはかなり豪華。

VIP
My Kind of Perfect (アカペラ)@ウエストバリー(12/1)
Good Place & Let it be @ アーヴィングプラザ(12/2)、ターニング・ストーン(12/3)

前半
01 Sleigh Ride
02 Melodies of Christmas
03 This Christmas
04 The Other Side of Down
05 Wait
06 Zero Gravity
07 Crush
08 Have Yourself a Merry Little Christmas
09 Climb Every Mountain

後半
10 Ave Maria
11 Pat-a-Pan
12 Fa-la-la-la-la ~ My Kind of Christmas
13 I Need a Silent Night (cover of Amy Grant)
14 O Holy Night
15 The 1st Noel
Band Intro
16 Riu Riu Chiu
17 Little Drummer Boy

アンコール
18 Silent Night

今回は、ひさびさの米国内での本格的コンサートで、場所はニューヨークとあって、いつも動画をアップしてくださる常連さんがかなり参加なさっていたようです。国内のみならず、海外からも熱狂的なファンが駆けつけたようですね~。すごっ。大半の方が2日目のマンハッタンにも参加すると思われるので、まだ動画がアップされていない曲もありますが、いずれ、きっと近いうちに全曲アップされるでしょう。
(ちなみに、この会場は撮影禁止でした・・・苦笑)。

まずは目新しい曲から。

VIP Good Place & Let it be (12/3 ターニング・ストーン)

Credit: choliepoliex3

01 Sleigh Ride (オープニング)
Credit:8throwcenter (muldur)


03 This Christmas
Credit:8throwcenter (muldur)

2年前のツアーではウエストバリーが最後の会場だったので、今回はここからツアーを開始したそうですね。へえ。


05 Wait

Credit: koko4da

2日目のマンハッタンでのコンサートで、Waitはここニューヨークでつくった曲だと話したそうです。ほおっ。


09 Climb Every Mountain

Credit: djbell13
※参考(2004/02/07 Star Searchでの “Climb Every Mountain”。声帯麻痺の初期で苦しかった頃ですね。)

この曲は、子供基金(Child Fund)を紹介し、協力を仰ぐ一環として歌われたようです。会場によって、この動画が流れたり、流れなかったりするらしい。

12 Fa-la-la-la-la ~ My Kind of Christmas (ポエムの朗読付き)

Credit: fa3ryg1rl1

<デヴィッドが朗読したポエム>
My kind of Christmas is a blessing so deep,
A time spent with family and friends we long to keep.

My kind of Christmas is a memory to make,
A time to be remembered when we give more than we take.

My kind of Christmas is a blessing tonight,
So many shining their forgotten inner light.

My Kind of Christmas is a holy place to me,
A place in time and space right here, eternally.

So my angels in the snow bless all you do,
Merry Christmas – My Kind of Christmas – to you.


この曲は、デヴィッドとサニー・ヒルデンのオリジナル曲だそうですが、英語とスペイン語が混じったノリがいい歌ですねえ。
デヴィッドは、これから毎回子供たちをステージに上げてかぶりものを付けさせ、ポエムを読み聞かせ、そしてマラカスをふらせるのでしょうか? 今回の子供たちはかなりシャイでしたが、中にはとんでもなく元気な子や踊りが得意な子なんかもいそうな気が・・・。楽しいかも~。
あ、もちろんデヴィッドのダンス(バチャータ?サルサ?オリジナル??)も楽しいですがっ・・・(^_^;)。


13 I Need a Silent Night (cover of Amy Grant)
Credit:8throwcenter (muldur)


17 Little Drummer Boy

Credit: djbell13

この他の曲の動画や上記で紹介した曲の他の方による動画と写真は、jackryan4DA (JR4DA) さんがThe David Chronicles (TDC) に、かなりの割合で集めまくってアップしてくださっています。おそらく今後のツアーの動画や写真も会場ごとに紹介してくださると思います(信じてます!・笑)。

もちろん、FODやFanSceneなどを始め他のファンサイトにもバンバン動画や写真がアップされていますが、まとめて会場ごとにパフォや写真を見たい場合は、TDC が便利です。(ときどき誤りがある場合もありますが、それはご愛嬌で~)。

12/1 ウエストバリー(NY)は、こちら
12/2 マンハッタン(NY)は、こちら
12/3 ターニング・ストーン(NY)は、こちら
12/4 ストラウズバーグ(PA)は、こちら


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